■エッセイ

2.デザイナーを目指す君へー6.(インダストリアルデザイン松坂研究室ブログ2からコピー)「コンセプトデザインと造形デザイン」

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「コンセプトデザインと造形デザイン」:インダストリアルトデザインの草創期、ペーターベーレンスはAEG社の工場の建物からインテリアデザイン、AEG社のポット、照明器具までデザインの仕事をこなしました。インダストリアルデザインという仕事はそのように、建築から家電製品まであらゆるものを対象としています。ペーターベーレンスの事務所で働いてたコルビジェ、ミース、グロピウスの時代には、今日のインターナショナルな合理的デザインであり、戦後日本のグッドデザイン選定制度が目指していたデザインとはそのような世界で通用するデザインでした。当時はインターナショナルなデザインをバウハウス洋式と書いている本があります。海外視察から戻ったパナソニック(松下電器産業)の松下幸之助さんがわが国で初めてインハウスデザインを設置しましたが、世界的な日本の総合家電メーカーがその後、デザイナーを大量採用した昭和40-50年代は日本の工業デザインは、そのアイディンティティの模索の段階でありました。個々のデザイナーは、お手本を海外に学びながら一方で日本のオリジナリティーを探求していたと思います。スバル360や東芝の電気釜などはその当時のデザイナーの良心を感じることが出来ます。今日でも使われていますが、私たちの時代(1970年代)はインダストリアルデザイン、インダストリアルデザイナーと呼ばれていました。そのような、時代に私たちデザイナーを志す若者にとっての数少ない登竜門の一つが「毎日デザインコンペ」でした。当初、デザインコンペは現実的なデザインを求めていましたが、次第にデザインコンペに企業が期待するものは今のデザインではなく「デザインコンセプト」というものづくりの概念を評価する方向に変化していきました。記憶にあるのは、アイワの「柔らかいラジオ」、キャノンの「ショットカメラ」GKデザインの「小さな車」などで、最終的なかたちに評価の比重は置かれていませんでした。若かった学生時代のわれわれはこのころからデザインの深さに感動しつつも、戸惑いがありました。デザイナーの専門領域が汎用性のある「言葉」でまとめる「概念づくり・物のあり方」へと拡大してきていることが難しく直ぐには対応できませんでした。今日ではインダストリアルデザイナーの専門性は「コンセプトデザイン」と「造形デザイン」の両方となります。