■エッセイ

2.デザイナーを目指す君へ20デザインには教科書がありません。正解という答えがない。

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デザインの現場での経験を暗黙知というものが言葉で伝わるか?果たして、どこまで実務家経験を言語化しても伝わらないであろう。以前、大変お世話になった素晴らしい芸文短大ビジュアルコースのE.N先生がデザインの教科書は意味がないとおっしゃられた。なぜか、デザインは生きものだからだ。答えなどない。どのような結果になるのか予測がつかないものだからだ。マニュアルのようなものがあっても全く役に立たない。算数や国語の教科書は答えがあるからペーパーテストがあるのだろう。僕はよくデザインを料理人に例えて説明する。料理人であって、都度味を変えてはいけないメニューのある町中華のコックではないのだ。創作料理、いい素材を自分の足で市場や野山に行き手に入れ、なるべく良さを引き出すように、こねくり回さないような料理。デザインもいい素材がなければいいデザインにならない。これはさまざまな制約条件の場合が多い。ところが、たまにいい制約条件というのがある。デザインも設計も企画も妥協がない結果の制約のようなこと。そのようんことは稀。「実務家教員という生き方」という本をアマゾンで取り寄せた。すでに僕のように企業で34年インハウスのデザインにいて10年弱大学で教員を経験しているとあまり参考になる内容では無かった。7割が実務家教員でなくても研究者教員であっても大学教員であれば共通に知っておくべきこと。これは実務家でこれから教員を目指す人向けの本であった。僕は、実践値(暗黙知)➡伝達可能な形式として➡体系化➡後世に伝えるか?仮に言語化し体系化してもそれは伝わっても意味がないほどに実践には結びつかない。実践とは様々なハプニングの中の連続だ。デザインはチームで動くものだから思い通りに行かない。

デザインプロセスなどは学ぶことは不可能だ。僕たちは適したデザインプロセスを考えることはデザインの一部だ。だから、不可能である。デザインプロセスを学ぶという言葉があるが、案件毎のプロセスを考えるのが通常の仕事だ。なぜなら、デザインは山登りだ。どのコースを通るかはデザイナーの頭の中にある。求められるのどれだけ高いとところに登れるかだ。この意味でも、山は登った本人でなければ真の理解はできない。デザインは実践の技術である。

 私は前職で学生にプロフェッショナルの経験から得た失敗の中から得た成功、学びを学生に伝えてきた。そこで得たものは想像できない程充実していた。初めは行進に教えることには抵抗があった。デザイナーになって楽しいのは毎日、毎回同じことはないからだった。これは昔、キヤノンから非常勤で来ていたK.N先生がおしゃっていた。そのとおりだった。ところが、キャリアが充実してくるとある時あまり面白く無くなってくる。結構、いろんな知識が増え予想がついてしまうからだ。しかし、これが固定観念というものだ。デザインは自由だ。発想は自由だ。だからこそ偉大なのだ。僕は教員にはいってあるところまでサポートすると到底かなわないようなアウトプットを持ってくる学生を何人も知った。同年代の僕でこのようなことができただろうか。まして、今でもかなわないと思う結果を出す学生がいるのだ。これがデザインをやめることができないデザインの姿(N学長のおっしゃってた僕なりの解釈はこのクリエイティブの発想の閃きへの道程なのだ)ぼくは、デザイン研究を生涯の生きがいとしてこれからも勉強していこうと思った。取りこぼしや越えられないデザインの山があるからだ。パラレルキャリア➡デザイン研究に残りの半生を費やす決意です。それは取りこぼしてきた知識であり、技術であり、全方位へ向けた学びの旅でもあります。デザインクライマーが僕の生きがい。」2023.5.11