2.つれずれなるままに―皇居正門石橋旧電燈 2023年4月13日

神保町の行きつけの美容室から皇居に向かって歩いてみた。共立女子学園ってこんなんところにあるのかなんて思いながら、懐かしい毎日デザインコンペの説明会場の毎日新聞社の入っている竹橋のパレスサイドビルの中を通ってお濠沿いに歩いて大手町方面に出てみた。これまた、懐かしいEIAJ電子情報技術産業協会(木下さん元気かなー)がここらへんだったなーと思っていたら皇居に入れる大手門高麗門に出た。考えてみたら、この歳まで皇居の中に入った記憶が無なかったので入ってみた。橋を渡ってみたら最近行った熊本城とか福岡城とかのようにいくつかの重厚な門を通って坂道を登って行くと本丸跡を通過し天守台に登って折り返した。その奥に大奥があったと学んだ。だから大奥。左折して汐見坂を下って元の大手門に向かっていたら左手にいかにも明治時代っぽい豪華な照明が沿道に置いてあった。皇居正門石橋に会った6基のうちの一つの電燈をここに移設したらしい。電燈を支えているのは仏教の亀と象と思ったらライオンのようですね?(河合浩蔵:制作1893年明治26年ごろ。制作年情報文化財ナビ愛知)Xperia8 2023年1月撮影

2.つれずれなるままに(インダスとリアルデザイン松坂研究室ブログ2からコピー)ーソットサスと倉俣史郎さんとメンフィス:2021年12月8日。

ソットサス・アソシエイツ:エットーレ・ソットサスはイタリアのインダストリアルデザイナーです。1980年代に短い期間でしたが、プロダクトデザイン史に残るような記憶に残る「メンフィス」というポストモダンのデザインチームを結成しさまざまな影響を与えました。なぜ、「メンフィス」は起きたのでしょうか?イタリアのデザインにとってどのような位置づけであったのでしょうか。そして、そもそもなぜイタリアのデザインは良いのか?なぜ良いかということはあまり納得のいく答えを聞いていません。数年前に自分の記憶にある昭和からのプロダクトダクトデザイン史をまとめてみました。抜けている部分を調べていると面白い発見もありました。それは大学の資料室アーカイブの一ページから本学にはずいぶん前に二人の日本を代表するデザイン界の著名な先生をプロダクトデザインの講師として招聘していたこと。一人はあの松下電器の真野善一氏、もう一人は我々の学生時代のバイブルであった「デザインとは何か」の著者、秋岡芳夫氏です。真野先生は僕らが学生の頃は武蔵野美術で指導されていました。そして、あらためて年表を俯瞰するとやはり「メンフィス」の存在とそこに参加した「倉俣史郎さんの作品」が特に輝いて見えるのでした。つづく。https://drive.google.com/file/d/1H5pq6s8qiFIMTeDp4Cyi-sgLJ_fA2-fp/view?usp=sharing



2.つれずれなるままに(インダスとリアルデザイン松坂研究室ブログ2からコピー)ーデザインの鉄人:2021年12月8日。

今日は午前中に専攻科「造形研究Ⅱ」課題「過疎地の〇〇〇」の実習で6人の学生の冒頭先週以降の後の課題の進捗チェック、アドバイス、修正チェックを行いました。自己紹介でも触れましたが、こちらの大分県に赴任して9年間自己の年齢についてあまり考えたことがありませんが、3月で定年退職で退任しますのでいよいよ最終コーナーという実感はございます。あまり考えたことは無かったのですが、私たちの専門職デザインという活動は改めて考えますと若い人の仕事ではありません。私たちが学生時代には「デザイナー30歳」説というのがあって、そーなんだー程度に思っていました。しかしながら、社会に出ると企業のデザイン部門では50代までは普通にやっています。このようにデザイン職は40代はおろか、現代世界的に活躍しているデザイナーは50ー60歳代です。お医者さまや料理人の様に経験値がとても重要な仕事と自覚しています。しかしながら、30代でも凄く出来る人もいますので結局年齢ではなく個人の才能という事になりますが、年齢という経験値は確実にプラスです。いくつまでデザインに関われるだろうかと思いますが、こちらに来てからも県内企業様からの製品デザインの依頼でお受けしたことが5件ほどあります。医療器や美容器機、遊具など。しかしながら、8割が本業が別にある事業主が大分県の助成金を獲得したのでデザインを依頼してみるとか、デザインが設計もしてくれるという程度の認識なので設計抜きで終わり、製品化は皆無です。よって、この手の依頼にはデザイン料はとらず手書きの絵とVWの2DCADで寸法を指示し学生に3Dモデリングのアルバイトとしてお金を落とすような学内インターンシップを実施しました。実は県内には工業デザイン事務所が無いので東京で学んだ私たちの学生時代のように事務所での実務のアルバイトの機会を作りました。トータルでは7-8人に50万円以上は学生に落ちていると思います。

東芝デザイン部時代の隣のチームのチーフデザイナーでKさんがいます。現在74歳だそうですが、恐らくコロナ騒動直前まで毎月成田から生産国の中国に飛んでいました。ローテクのラジカセなどですから逆にデザインの重要性が高い商品です。70過ぎまで現役での仕事を依頼されるということに多大な尊敬の念を抱きますし、目標です。もちろん、デザインだけではありませんが、どの仕事でも70代まで現役で働くことは誰でも一つや二つ体に痛みを感じる部分があるに違いなく尊敬します。倒れる年齢まで必要とされ働くことは人間として尊敬します。今の自分が感じることは高齢になると今後は、体のあちこちの部品が故障するのだろうなーと、それが自然なんだなーと感じます。高齢化=身体的障害です。私は父の血筋かファッションが好きで40歳ぐらいからワイズ・イッセイミヤケを経てコムデギャルソンを好んで着るようになり以来20以上CDGHやオムドゥに通い続け、東京、関西、九州の殆どの店長と知合いです。昨年、社長の川久保玲先生が、テレビのインタビューに珍しく応じていて衰えないデザインに対する熱意に感動しました。岩田屋店長によると今年78歳だそうですが、現役で戦っているんだなー。社員を抱える経営者としての責任も大変ありますが、洋服を見ると変わらずに私たち顧客の期待を裏切らないわくわく感というパワーを与えてくれます。これがあって私も働ける部分もあります。